鈴鹿久美子(元政策秘書)「勝たせ屋」の学歴や苦難の生い立ち!

政治
 
 
こんにちは、ジョーです。

 
 
今も昔も政治の世界は何かあるごとに、新聞やニュースで大きく取り上げられますが

その政治家を裏で支えて表には出ない人たちがいます。

 
 
しかし、その人たちは苦労の割に決して恵まれた待遇ではありません。

 
 
そんな方たちをフォローしようと頑張っている女性を紹介します。

 
 
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プロフィール!!

 
その女性とは  鈴鹿 久美子さんです。

 
 
3度の司法試験に挫折したのち、参議院選挙を手伝ったキッカケから

社民党や民主党の、6人の国会議員の政策秘書を15年勤めあげたのち、

2012年の総選挙前に議員秘書人材紹介会社 (株)instyle (議員秘書ドットコム)を

立ち上げました。

 
 
そして、2015年の統一地方選、2016年の首長選にて

自身が関わった候補者全員当選させたことにより

「勝たせ屋」  と呼ばれるようになりました。

 
 
最近では政治番組だけではなく、バラエティにも多数、出演され歯に衣を着せない

意見を出演者にバシバシ述べている姿を

良く目にしますが、一体彼女はどんな人生を歩んできたのでしょうか?

 
 

生い立ち!!

 
 
彼女は、小学生時代はいつもカーテンに隠れて泣いているような、

内気で泣き虫と今からは考えられないような女の子でした。

 
 
体育の時だけ楽しくて徒競走ではいつも一番だったそうです。

 
 
しかし、中学に上がるとうってかわって、女子バレーボール部に所属して

キャプテンも務めるほど快活になったいました。

 
 
ただ、彼女は本家の初孫、しかも二人姉妹の長女と言うことで、

跡継ぎ」の筆頭として親からは「お見合い結婚の為に公立高校に!

と、いわれてたのです。

 
 
女は高学歴であってはならない

 
 
と言う、親の古い考えの中で自分の意思で決めれなかった高校に進学しますが、

ただ茫然と過ごし、大学進学も諦め地元の銀行に内定が決まっていました。

 
 
しかし、入社前の健康診断で引っ掛かり内定取り消しとなり(後で間違い判明)

何もしないよりましと、親はしぶしぶ短大に行くことを了承してくれたのでした。

 
 
この短大に進んだことで、世の中には片隅で泣かされている人が沢山いる。

 
 
この人たちを助けてあげたいと弁護士になる決意をしたのでした。

 
 

人生の転機!!

 
 
親の猛反対を振り払い、東大を目指すために上京し家庭教師のバイトをしながら

予備校通いをして、寝る間も惜しんでの猛勉強の毎日でした。

 
 
しかし、予備校にいく電車で倒れて意識不明となり救急車で運ばれる羽目に

なってしまいました。

 
 
そこで、たまたま手帳に書いてあった電話番号に連絡され、

そのたまたま知り合いだった人に、

 
 
僕と結婚したら勉強させてあげる

 
 
と言われる始末でした。

 
 
が、その時は渡りに船とその人の申し入れを受けて結婚、3人の子供を授かりました。

 
 
しかし、度重なる子どもの病気の為に東大受験は断念し、夫婦仲は破綻してしまい

離婚となってしまいますが、諦めきれずに3回目の司法試験に挑戦する事にしました。

 
 
でもこんな状況で合格するはずもなく、貯金も底をついてしまったので

仕方なく参議院選挙のお手伝いに行くことになりました。

 
 
 
そう、これがまさに今の仕事へと繋がるきっかけとなったのです。

 
 

恵まれない議員秘書!!

 
 
議員秘書が大変なのは次の職場探しと彼女は語っています。

 
 
衆議院が解散となると同時に失職となり給料は出ません

 
 
続けてすぐに選挙に出馬となっても選挙期間中は全くの

無給なんだそうです。

 
 
その議員が当選して、しかもすぐに公設秘書として再雇用されてやっと

選挙期間中まで遡って計算され給料が出るのです。

 
 
まして、その議員が落選した時は言うまでもなく、

再雇用も一定期間を過ぎてしまえば、雇用されても

選挙期間まで遡っての給料は出してもらえず、ただ働きの選挙活動となるんです。

 
 
まして、落選議員の秘書は選挙後の事務処理はもとより、スタッフの職あっせんや

数多くの仕事があり、自信の次の職探しまでなかなかできないのが現実です。

 
 
議員からの教えとして、

 
 
秘書の秘は秘密の秘

 
 
と教わっているくらいで、他の議員との業務以外の接触は控えるのが当然で

優秀で真面目に職務を全うする秘書ほど落選した時に

次の職場にめぐまれないという状況でした。

 
 

求められる人材を求めるところへ!

 
このよううな現状を考え、今の会社を立ち上げたのです。

 
 
議員の人材派遣は日本で初めての事業サービスで受け入れられるか心配だったそうですが

世話になった国会議員の先生や初当選の議員からの依頼があって順調にスタートしました。

 
 
また、この会社が深く社会に認知してもらえるようになったのが、

二年後の安倍内閣、自民党政権交代選挙でした。

 
 
250人以上の現職議員落選、そして1000人規模の秘書の失職という

状況をテレビ、新聞、雑誌などのマスコミが取り上げ、同時に

彼女の会社も紹介されたのです。

 
 
翌日には民主党を中心に250件を超える依頼が殺到したそうです。

 
 

これから!!

 
 
 
まだまだ、立場の弱い議員秘書だが彼ら自身がプロにならないと、

と彼女は考え、「議員秘書入門セミナー」等、彼女が積み上げてきたノウハウを

惜しげもなく彼らに教えています。

 
 
また、議員、秘書だけではなくビジネスを越えた人との関わりを教える

セミナーや出版も精力的に行っています。

 
 
彼女の座右の銘が、

 
 
人生の中で今日が一番若い!!

 
 
と言っているように、いつまでも若い挑戦していく気持ちを

持ち続けたいですね。

 
 
 
 
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