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北の富士勝昭の嫁や生い立ちが気になる!若い時はハンサムでモテた?

スポーツ
 
元横綱で現在も相撲解説には欠かせない存在感の元横綱北の富士さん。

 
 
 
今回は、北の富士勝昭の嫁や生い立ちが気になる!

 
 
 
若い時はハンサムでモテた?

 
 
 
などについてまとめてみました。

 
 

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北の富士勝昭の嫁ってどんな女?

https://twitter.com/samon_aid/status/1219573133172064261
第52代横綱として君臨していた北の富士勝昭さん。
 
 
 
現役時代は「夜の帝王」「プレイボーイ横綱」など

 
横綱らしからぬあだ名を付けられていた北の富士さんの奥様はどんな方なのでしょうか?

 
 
 
北の富士さんの奥様についてですが、北の富士さんは離婚歴があり、

 
その後、元ホステスと再婚したとのこと。

 
 
 
北の富士勝昭さんは1942年3月28日生まれの現在77歳です。

 
 
 
奥様の詳細は分かりませんでしたが、

 
奥様もおそらく60~70代ぐらいの方ではないかと推測されます。

 
 
 
奥様の旧姓は竹澤貴子さんと言い、かなり小柄な女性とのこと。
 
 

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北の富士勝昭の生い立ちが気になる!

https://twitter.com/wei_loveTaiwan/status/1217780972051058688
北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)

本名 竹澤勝昭(たけざわ・かつあき)

1942年3月28日 北海道網走郡美幌町生まれ

身長 185cm

体重 135kg

留萌市立留萌小〜旭川市立光陽中卒

現役時代 出羽海部屋〜九重部屋

引退後 井筒部屋〜九重部屋〜八角部屋

 
 
 
当然1942年生まれの北の富士さんで現在77歳と高齢ではあり彼の生まれも、

 
時代背景もありますが、

 
それ以前にも父親の事業の失敗などで北海道網走群から3度の夜逃げを経験したそうです。

 
 
 
貧しさ故に靴も買えず年中下駄を履いて相撲界に入門を目指して

 
北海道から上野駅に上京したときは学生服に下駄の出で立ちで、

 
母から持たされたいざの時の換金用にあずき3袋を持って12歳の年齢で上京したと言います。

 
 
 
その大切なあずきは直ぐに駅で転んでバラまいてしまったそうです。

 
 
 
何とも今の北の富士さんからは想像出来ない切なくなるような時代を乗り越えて今があるのですね。

 
 
 
意外ながら、幼少期から相撲ではなく野球に親しんでいた北の富士氏。

 
 
 
中学校の時は投手で4番の主力選手として活躍、恵まれた体格で頭角を現し、

 
名門・北海高をはじめとして多数の高校の野球部と、

 
全国大会優勝を誇る増毛高レスリング部などから勧誘を受けましたが、

 
北海道巡業の際に声をかけられた横綱・千代の山関を頼って

 
中学を卒業すると上京し出羽海部屋へ入門しました。

 
 
 
中学校時は父親の事業失敗により夜逃げを3回も経験したという北の富士氏。

 
 
 
激貧から抜け出したいというハングリー精神もあったのでしょうね。

 
 
 
母親から握り飯10個と何かあった時のために換金用の小豆3袋を持たされて上京しますが、

 
船酔いで体重は激減し、

 
小豆も上野駅に着いてすぐ転んでばら撒いてしまったという波乱の東京生活のスタート。

 
 
 
1957年の初場所で 「竹澤」という四股名で初土俵を踏みますが、痩せていたためなかなか勝てず、
 
当時の「30場所で幕下へ昇進できなければ廃業」という規約ギリギリまで追い込まれたそうです。
 
 
 
そこから奮起し、1960年に三段目まで昇進。

 
 
 
その後、先輩のリンチばりの猛稽古に起因する病気で入院したこともあり、

 
四股名を 「北の冨士」 に変更。

 
 
 
そこから快進撃が始まります。

 
 
 
1963年に十両昇進。

 
 
 
同年の11月場所では、15戦全勝優勝を達成します。

 
 
 
1964年1月場所で新入幕、13勝2敗で敢闘賞を受賞します。

 
 
 
3月場所で小結昇進、7月場所では関脇に昇進します。

 
 
 
1966年7月場所後には大関に昇進。

 
 
 
その後、九重(元横綱・千代の山)の独立 に伴い九重部屋に移籍。

 
 
 
1967年初場所では、幕内初優勝を果たします。

 
 
 
その後は負けが込み、

 
綱取りには足踏みを繰り返したことから四股名の「冨」に「、」をつけ、「北の富士」 に改名。

 
 
 
1969年の11月場所、1970年の初場所を 連覇し、大関21場所目にて待望の横綱昇進を果たします。
 
 
 
その後は同時に横綱に昇進した玉の海関 や貴ノ花関と激闘を繰り返し、

 
1974年7月場所の2日目を終えたところで体力の限界を理由に引退を表明。

 
 
 
17年間の土俵生活に幕を閉じました。

 
 
 
生涯成績は、786勝427敗69休 。
 
 
 
引退後は井筒部屋を立ち上げますが、

 
九重親方の死去により井筒部屋と合併させる形で九重部屋を継承。

 
 
 
千代の富士と北勝海という二人の横綱を育てるなど後進の育成に手腕を発揮しました。

 
 
 
1998年には日本相撲協会を退職。

 
 
 
現在はNHK大相撲解説者として活躍、若い世代からも多大な支持を集めています。
 
 
 
もともと不整脈があった北の富士さんは17年1月の初場所の解説を休場しました。

 
 
 
16年12月に横浜の心臓の名医に診察してもらった所心臓弁膜症であることが発覚。

 
 
 
すぐ入院して人工弁を入れることになったそうです。

 
 
 
心臓弁膜症は加齢や若い頃の負担によって心臓の弁が固く開閉ができなくなる病気といわれますが

 
年齢敵な事を考えてもカテーテル手術を受けたのでは、と言われているようです。

 
 
 
病気明けは3月から相撲解説に復帰しましたが現在の所、

 
いつもの軽快な解説からすると上々のようでまずは一安心と言えるでしょう。

 
 




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北の富士勝昭は若い時はハンサムでモテた?

歯に衣着せぬモノ言いといくつになっても

 
お洒落な着物姿で相撲解説の名物となっている元横綱北の富士。

 
 
 
現役時代から破天荒で知られ数々の異名を名乗った彼は現代っ子横綱・香車・槍烏賊若手三羽烏・
 
名門の二男坊・イレブン横綱・プレイボーイ横綱・夜の帝王となかなかの言われようです。
 
 
 
それもそのはず調べてみたら北の富士さんの現役時代は、

 
かなりの破天荒ぶりで現役力士の頃から栃王山と共同経営のキャバレー『月世界』を経営したり、

 
『ちゃんこ北の富士』を経営するなど、力士にかかわらず経営していました。

 
 
 
現在の出で立ちを見ても女がほっておくわけは無く当然遊びも激しかったようで当時の妻とは離婚。

 
 
 
なかなか、色気のあるお方のようです。

 
 

今回のまとめ

 
今回は、北の富士勝昭の嫁や生い立ちが気になる!

 
 
 
若い時はハンサムでモテた?

 
 
 
などについてまとめてみました。

 
 
 
北の富士氏は現役時代に優勝10回、

 
熱烈な相撲ファン以外はあまり知られていませんが引退後は九重親方として千代の富士、

 
北勝海の両横綱らを育てた相撲界の重鎮中の重鎮です。

 
 
 
日本相撲協会理事も務めたが、1998年1月に同協会を55歳で退職して

 
今となっては自由に相撲解説をするダンディな相撲界のおじさまとして活躍されています。

 
 
 
解説とは言え貴重な存在ですのでまだまだお元気で相撲界に華を添える存在でいてほしいですね。

 
 


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