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児島気奈(K-PRO代表)は元芸人?経歴や代表になったキッカケは?

お笑い
 
賞レースやバラエティ番組だけが芸人の活躍の場ではありません。

 
 
 
お笑いを志す者は、皆劇場のライブで研鑽し、経験を積み、頭角を現しています。

 
 
 
そんなライブを毎月40~50本主催、3000人以上を動員しているのがお笑い制作会社K-PRO。

 
 
 
今回は、児島気奈(K-PRO代表)は元芸人?

 
 
 
経歴や代表になったキッカケは?

 
 
 
などについてまとめてみます。

 
 

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児島気奈(K-PRO代表)は元芸人?

高校時代からお笑いライブの手伝いをしていた児島気奈が、
 
2003年に理想のお笑いライブをめざし、自主ライブを開催。
 
 
 
その後「K-PRO」を結成し、2004年5月18日、

 
東京・新宿Fu-で初ライブとなる「行列の先頭」を開催しました。

 
 
 
吉本が複数の劇場を抱え、若手でも舞台に立てる関西と違い、

 
当時の東京のお笑いは芸能事務所主催のライブもほとんどなく、

 
単独ライブを除けばラ・ママ新人コント大会や放送作家主催のライブだけであったため、

 
「それに出るためのライブ」と位置づけ複数のお笑いライブを開催。

 
 
 
2018年には「東京のお笑いインディーズシーンを支えてきた」と言われるほど
 
若手芸人が出演するライブを赤坂BLITZ、中野ZEROホール、座・高円寺、
 
赤坂レッドシアター、しもきた空間リバティ、
 
新宿劇場バティオスなど中小規模の劇場で月に40~50本開催しています。
 
 
 
地上波テレビで冠番組を持つ売れっ子や、M-1グランプリ、キングオブコント優勝者も、

 
関東で活動経験があれば若手時代に必ず主催ライブに上がった経験があるイベント主となっています。

 
 
 
2014年には創立10周年を記念し7日間都内別々の会場でライブを開催する

 
「一週間ぶっ通し興行」を開催しました。

 
 
 
2017年11月「GYAO!」と初タッグを組んだ全編配信のお笑いライブ「KinG LIVE」を開催。

 
 
 
もともとフリー芸人のマネジメントサポート業務を行っていたが、

 
2018年より本格的にマネジメント業務に乗り出し、所属芸人を抱えるようになりました。

 
 
 
2019年9月より動画配信サービスParaviにて主催ライブの定期配信を開始。

 
 
 
代表の児島は特異な経歴から、

 
ゴッドタン、めちゃ2イケてるなどに審査員役での出演のほか、若手芸人の紹介協力もしています。

 
 

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児島気奈(K-PRO代表)の経歴や代表になったキッカケは?

K-PRO代表・児島気奈(こじまきな)お笑いライブ・イベント制作K-PRO代表。
 
 
 
高校時代から浅草を始め都内各所でお笑い舞台の下積みを経験し、 2004年にK-PROを旗上げ。

 
 
 
現在では都内で活動する若手芸人ほぼ全てが出演するライブを月に40~50本開催、

 
「THE MANZAI」「キングオブコント」などの決勝進出者のほとんどは

 
K-PROライブ出演経験ありということで業界内外から注目されます。

 
 
 
また自身もトークライブや養成所講師などを行い、テレビ・ラジオに出演したりと精力的に活動中。

 
 
 
児島気奈はテレビを見るのが大好きなお笑いファンでした。
 
 
 
『ボキャブラ天国』などに夢中になり、大阪や福岡など全国各地のお笑いファンと文通を始め、

 
ローカル番組のビデオを貸し借りしたり、

 
地方の新聞記事などを取り寄せたりするようなコレクター気質のファンでした。

 
 
 
お笑いライブにかかわりだしたのは、高校3年生の時。

 
 
 
文通相手のひとりから「一緒に手伝ってみない?」と誘われたのがきっかけでした。

 
 
 
中野でやっている芸人さんが主催する身内の自主ライブでした。

 
 
 
チラシに「ボランティアスタッフ募集」って書いてあったのを友達が見つけたんです。

 
 
 
当時ライブのことなんてわかっていなかったから、

 
『ボキャ天』に出てる爆笑問題さんやネプチューンさんのような芸人さんに会えるもんだと

 
思って行ったら、全然知らない無名の芸人さんしかいなくて(笑)。

 
 
 
ふてくされてちょっとサボっていたら「なんで一番年下が楽屋で座ってんだよ!」って

 
芸人さんに怒られたんです。

 
 
 
その時に、なんでこんなテレビで見たこともない人に怒られなきゃいけないんだろうって悔しくなって。
 
 
 
じゃあ、次はもっと働いて、この人たちに「いてくれてありがとう」って

 
言われるようになってやるって思って

 
「次も手伝わせてください」と続けていったのが始まりですね。

 
 
 
部活も受験勉強もせずにお笑いライブの手伝いにのめり込んだそう。

 
 
 
大学進学後もそれは続き、大学に行って、ライブを手伝い、

 
打ち上げにも参加し芸人の話を朝まで聞いて、

 
そのまま大学に行くというような生活になっていきました。

 
 
 
何か覚醒しちゃった感じでしたね(笑)。

 
 
 
袖からマイクを出したりする舞台転換とか、
 
音響、照明を独学で勉強して手伝ったり、駅前でチラシを配ったり、なんでもやりました。
 
 
 
これを職業にするとか、これでお金を稼ぐとかではなくて。

 
 
 
交通費すら出ないのが当たり前で、なんなら赤字分を自分たちで出したりしてました。

 
 
 
それでも続けてたのは意地ですね。

 
 
 
もう悔しいからいつかギャフンと言わせてやるっていう気持ちのほうが強かった。
 
 
 
誘ってくれた友達も「やっぱりお笑いは見ているほうが楽しい」っていう

 
名言を残して辞めていきました(笑)。

 
 
 
私は「いや、見るよりやったほうが絶対楽しい」と。

 
 
 
大学時代は自らも芸人に挑戦をしたりもした。

 
 
 
キャン×キャンやマシンガンズなどとも同じ舞台に立った。

 
 
 
最初にライブに誘ってくれた女友達から「ネタをやってみたい」って言われて

 
コンビを組んで漫才を書いたりしてました。

 
 
 
身内の勉強会ライブで披露する程度でしたけどね。

 
 
 
もしそこでウケてれば続けてたかもしれないですけど、スベってばかりだったので。

 
 
 
でも、そうやってスベった経験をして人前に立つ大変さを知ったからこそ、

 
違う目線が出来て、お笑いライブを続けてこれたかもしれないです。

 
 
 
芸人さんがやりにくい舞台が感覚的にわかるようになりました。

 
 
 
例えば、最前列に空席があるとウケている気がしなくなっちゃうとか。

 
 
 
2003年、21歳の頃に初めて主催者としてライブを開催しました。
 
 
 
もっともこの時は、会場を借りる際に代表者の欄に名前を書いたり、

 
お金を支払うような事務手続き上の「代表者」にすぎなかった。

 
 
 
だから「お笑い界を変えてやるぞ!」みたいな意気込みとかは一切なくて。

 
 
 
よく誤解されるんですけど、「KーPRO」の「K」も児島の「K」ではないんです。

 
 
 
別のスタッフの頭文字の「K」をとった「K-プロレス」というお笑いライブを最初にやって、

 
それを続けていくうちに自然と「K-PRO」と呼ぶようになったんです。

 
 
 
1回目のライブは新宿Fu-に、お客さんが120人近くパンパンに入ったんです。

 
 
 
一番前の席を取っ払って桟敷席にするくらい超満員。

 
 
 
「こんなに簡単に楽しい思いができるなんて!」と思って2回目をやったら大失敗。

 
 
 
絶対お客さんが来るとおごってしまって、宣伝もせずに1週間前まで出演者も決めずにやったら、

 
当然お客さんはほとんど集まらなくて。

 
 
 
10人くらいの観客を見て芸人さんが私に「俺らはどんなに客がいなくても全力でやるから」って
 
優しさで言ってくれたんですよ。
 
 
 
それが私は逆に悔しくて。
 
 
 
芸人さんにこんな恥ずかしい舞台に立たせてしまった、と。

 
 
 
そこから、本当の意味で真剣になりました。

 
 
 
だから振り返ってみると要所要所で味わう悔しさが続けてこられた理由という感じはします。

 
 



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児島気奈(K-PRO代表)はお笑い芸人から慕われている?

今の悩みとは

 
――あと児島さんって、わりと芸人さんに対して思っていることをズバリ言うじゃないですか。

 
前に児島さん司会でK-PROの9周年イベント

 
(2013.11.1 K-PRO児島気奈トークライブ『9~来年K-PRO十周年の前に振り返ります!~』)を

 
やってもらった時も、三四郎・小宮さんに対して「私とは合わない」と言ってみたり(笑)。

 
あとで気まずくなったりしないですか?

 
 
 
児島:芸人さんとの関係をよくしていくために、逆に思ったことは素直に言うし、
 
向こうからも言ってくれっていう関係性を大事にしていて、
 
例えばネタで評価されている芸人さんがライブでフリートークをやりたくない、

 
変なイメージがつくから、でもやった方がいいよ、

 
ネタがおもしろいことはわかっているんだから次はフリートークで、

 
なんならMCで他の若手と絡んだ方がいいよ、とか、

 
そういうことを言い合える関係を変えたくない、

 
1組1組とちゃんと話し合いをしてきたのがK-PROらしさだと思うんですよね。

 
 
 
――すごいですね、そこまでできる主催者ってなかなかいないですよ。

 
児島:でも最近の若手芸人さんは、“K-PROが言ったことは何でもしますよ”が

 
先になってしまっていて、K-PROが言っていることは正しい、

 
それに従わないと今後ライブに出れないんじゃないかと思われているみたいで、

 
それが今、悩み所ですね……。

 
なので、若手芸人さんの心をほどく作業みたいなものが、わりと大きくなっています。

 
 
 
――良くも悪くもみんなイイ子なんですね。

 
児島:そう、素直なんです。

 
そこを自分たちもコンプレックスに思っていて、舞台でも一皮むけないというか……。

 
やっぱりK-PROが長い分、私との年齢差もありますし、

 
私は体でぶつかっていっても向こうがヒョイと逃げるということ結構多くて。
 
まぁなんとかしないとなとは思っていますけどね。

 
 
 
――児島さんはマジメだから、思い通りに行かないとイヤになったりしないですか?

 
児島:んー、イヤになることは、ありますね(笑)。

 
やってて楽しいなとか、

 
今すごく前向きに新しいものに挑戦できているなーという波はあるんですけど、

 
そういう時とは逆で、全然おもしろくないし、思い通りにいかないし、

 
お客さんも減ってきた時に不安になることもあります。

 
でもそういう時に浮かぶのは芸人さんの顔だったり、

 
芸人さんのためにもここで挫けている場合じゃないと思って、自分を奮起させることはありますね。
 
やっぱりK-PROはK-PROであり続けなきゃ、みたいな覚悟して始めた部分もあるので、

 
そこで折れちゃダメだなと思います。

 
おもしろいものを作りたいし、お客さんに見せたいし、

 
芸人さんの方がもっとネタとかオーディションとか、

 
心くじける場面も絶対にあるから、芸人さんに負けてちゃダメだなと思いますね。

 
芸人さんの方がもっと大変なんだろうなと思います。

 
 
 
――なるほど、舞台に出る人たちはリスクを負ってやってますもんね。それに比べたら、ですね。

 
児島:芸人さんも表には見せないですけど、いいネタができないとか、お客さんが付かないとか、

 
色んな苦労があると思うので、それと同じような苦労を味わえているのが有難いというか、

 
同じように苦労して成長できてるんだと思っているので、私もまだまだ勉強中だと思って、
 
くじけずがんばろうと思っています。
 
 
 
芸人さんと向き合っている姿勢など、慕われていそうな感じの方ですね。

 
 

今回のまとめ

 
今回は、児島気奈(K-PRO代表)は元芸人?

 
 
 
経歴や代表になったキッカケは?

 
 
 
についてまとめてみました。

 
 
 
若い頃から芸人と接し、自身も芸人の経験があるからこそ、芸人の生理を熟知し、

 
「児島さんがいたら安心する」と言われるほど芸人がやりやすい環境づくりをすることができるのですね。

 
 


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