東京オリンピックまで1年を切りましたね。
そこで今回はサーフィンの選手に注目したいと思います。
女性サーファーの高橋みなとさんをご存知でしょうか。
2020年東京オリンピックで注目の美人選手です!
今回は、高橋みなとが可愛い!
サーフィンを始めたキッカケや両親が気になる!
などについてまとめてみます。
高橋みなとが可愛い!wiki経歴やプロフィール!
名前:高橋みなと下田サーフィン大会!
— レプロ インフォメーション (@lespros_info) June 29, 2014
3位水野亜彩子!
4位高橋みなと!
おめでとう!#レプロ #森豪士 #中村蒼 #大川藍 #有末麻祐子 pic.twitter.com/sG5RyrtBqr
生年月日:1993年8月9日
年齢:26歳(2019年8月現在)
出身:宮城県仙台市
身長:158cm
血液型:A型
所蔵チーム:JAPSS
活動拠点:宮城県仙台市
見ていた人の記憶に残るライディングで観客を魅了するのが目標。
サーフィンとの出会いとプロデビュー
高橋みなとさんは、父親の影響で小学3年生からサーフィンを始めます。
それからは、世界で活躍できるサーファーを目指し、
学校に通う以外は、早朝も夕方も練習に打ち込んだそうです。
しかし、2011年3月11日に東日本大震災が起きて地元での練習ができなくなってからは、
活動拠点を青森や山形に移し、週2日の車中泊で練習を積みました。
小学校4年生のときに地元のサーフショップ主催のサーフィンスクールに入校し、
地元では敵なしの活躍ぶりでした。
当時は地元でサーフィンをしている女子選手は少なく、
高橋みなとさんの一人勝ちといった感じだったそうです。
しかし県外に出れば強豪選手がゴロゴロ行たこともあり、
高橋みなとさんは県外の大会を敬遠していました。
しかし小学校6年生の時に師匠のアドバイスもあり県外の大会に参加し、
間近でプロサーファーのエキシビジョンを見て考え方が変わったそうです。
高橋みなとさんが県外の大会に参加しなかったのも負けるのが嫌だったからですが、
県外の大会に参加することでレベルアップしたのは間違いありません。
東日本大震災の悲しい過去を胸に刻みながらサーフィンをしていて、
地元の復興の為にも頑張っている姿に感慨深い気持ちになりますね。
2011年9月22日~25日に「復興支援チャリティーツアー」として千葉県で行われた、
JPSA日本プロサーフィン連盟の公認大会でプロ資格を獲得し、
デビュー戦で4位入賞を果たしました。
ただ、プロにはなれたものの、世界との差を感じたとおっしゃっています。
そして、世界と互角に戦う為には、練習環境の違いやコーチングシステム、
スポンサー関係の差があったとおっしゃっています。
高橋みなとがサーフィンを始めたキッカケは?
美人プロサーファーとして注目を集める高橋みなとさんは、今週の #showyourdakine ははSurfライダーの高橋みなと。
— Dakine Japan (@DakineJapan) May 6, 2015
愛用するのはPROM 25L。丸みをおびた形とエスニックなプリントがCUTE。PC&サングラス用のポケットあり http://t.co/dOkPuxAjAY pic.twitter.com/60LAihqdkf
東京五輪でメダル獲得の期待も高まっています。
高橋みなとさんが初めて海を訪れたのは生後2週間ということで、
父親はサーファー母親はウインドサーファーをしている海の申し子ですね。
幼い頃から海が遊び場だった高橋みなとさんは多くのサーファーを見ていくうちに、
自然と自分もサーフィンを始めています。
小学校4年生の時にサーフスクールに入校してからは、
地元の大会で数多く優勝を飾るなどサーフィンの実力は当時からずば抜けています。
物心つく前から海に両親と行っていたことで、
高橋みなとさんは海が一番の楽しい場所になりサーフィンを始めていますね。
サーフィンをやらされるのではなく自分が好きで始めたからこそ、
今も昔と変わらずサーフィンを愛し厳しい練習にも耐えれるんだなと思いました。
高橋みなと(サーフィン)の過去の悲しい出来事とは?
高橋みなとさんは宮城県仙台市の出身で東日本大震災も経験していますが、
震災当日は海に入らなかった数時間後に大震災が発生しました。
東日本大震災当日の朝は海が不気味なほど静かだったそうで、
海に入らなくていいかなと思い入らなかったそうです。
いつも海で過ごしている高橋みなとさんは直感ですぐ避難し、
大津波から逃れて無事だったことは奇跡かもしれませんね。
しかし大津波の影響は大きくサーフィンをしていた仙台新港も被害を受け、
サーフィンをすることも困難になっています。
東日本大震災は2011年3月11日に発生していますが、
この年の5月にペルーで世界大会を控えていました。
高橋みなとさんも避難生活をしていて満足な練習ができない状況でしたが、
家族はインドネシアのバリ島で練習してこいと提案します。
バリ島に行き練習し世界大会では40位という成績でしたが、
高橋みなとさんにとって悲しい出来事であり大きな財産となったはずです。
高橋みなとの両親や兄弟が気になる!
小学4年生の頃からサーフィンを始めた高橋みなと選手。【超拡散希望1】このたびわたくし高橋みなとは人生初の”メールマガジン”を書かせて頂くことになりましたー!!サッカー解説者福田正博さん、ジャーナリスト戸塚啓さん、3人目が私です!!! pic.twitter.com/tXXfr7GDrj
— minatotakahashi (@minatotakahashi) January 6, 2014
サーファーの父と、ウインドサーファーの母に影響を受けた事が
サーフィンを始めたきっかけとなったようです。
子供の頃から海が身近にあったことで自然とサーファーを目指されたんですね。
日本ではまだまだメジャーな競技ではない為、
自身のブログではアルバイトをしながら大会に出場していることを綴っています。
東京五輪で新種目に決まり注目されているので、
これを機にサーフィンがもっと世の中に広がると良いですね。
大会費用などは全て自費
国内外の大会への遠征費などは全て自己負担しなければならず、
アルバイトで遠征費を賄おうと頑張っていたようですが、
練習時間を確保しようとするとアルバイトの時間が少なくなり、
収入も少なくなってしまい、
アルバイト先にも迷惑がかかってしまうというジレンマに悩んでいたとおっしゃっています。
その為、父親に遠征費を出してもらっています。
プロとは言っても、
まだマイナースポーツであるサーフィンのお金事情はまだまだ厳しいようです。
仲の良い弟さんもいらっしゃるみたいですね。
今回のまとめ
今回は、東京オリンピックのサーフィン日本代表として
期待のホープ高橋みなとさんについてみてきました。
東京オリンピックでの活躍が非常に楽しみですが、
サーフィンを続けるのは色々大変な事がわかりました。
ただ、これだけ美人な方ですから、
活躍をすればCMやテレビに引っ張りだこになるのではないかな、と思います。
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