西川悟平さんは、30歳ごろに、難病とされる病気、ジストニアを発症し、医師に「もうピアノは弾けない」と診
断されたものの多大なる努力の結果7本の指の機能を取り戻し、現在ピアニストとして活動するにまで至っています。
今回は、そんな西川悟平さんの経歴と、診断された病気、ジストニアについてや、演奏動画をご紹介します。
西川悟平(7本指のピアニスト)の経歴は?

まずは西川悟平さんの簡単なプロフィールについてまとめました。
名前:西川悟平(にしかわごへい)
生年月日:1974年10月25日(現在44歳)
血液型:O型
出身:大阪府堺市浜寺
出身大学:大阪音楽大学短期大学部ピアノ科
(身長、体重、出身高校等不明)
ピアノを始めるには遅すぎるスタート
西川悟平さんがピアノを始めたのは15歳と遅い方でしたが、周囲の反対を押し切って大学は音楽大学へ。大学卒業後、アメリカ人ピアニストに認められ渡米し、ニューヨークでの武者修行を開始。
ピアノを始めた時期が遅いことから、明け方まで練習を続ける日々が続きました。
そして、徐々に周りにも認められ、コンサートの依頼も来るようになりました。
すべてが順調に進もうとしていた矢先、悲劇は起こりました。
練習中に感じた違和感
練習中、不意に自分の意志とは別に指が曲がってしまうという違和感を覚えました。症状は悪化する一方でしたが、折角のチャンスでもあり、練習をやめることはできませんでした。
案の定コンサートでは全く納得の行く演奏ができず、マッサージ、心理カウンセリングと手を尽くしたが効果はなく、発症から2年、難病である「ジストニア」と診断されました。
「もうピアノは弾けない」
医師にそう言われ、頭の中は真っ白になりました。その辛さから、腕を切ろうとしたこともあり、一時は自殺未遂にまで至ったそうです。
掃除や介護の仕事をしながら、懸命にリハビリへと望む日々。
両腕の動かなかった症状から、当時右手2本、左手2本まで回復するに至りました。
西川悟平さんを救った「子どもたちの無邪気な笑顔」
そんな中、知り合いから子供の音楽教室を開くように頼まれました。子どもたちにせがまれ、恐る恐る弾いた「きらきら星」。
意外にも子どもたちははしゃいで歌い始め、その後も演奏を続けると子どもたちが無邪気に楽しむ様子が目に映りました。
そこで西川悟平さんは確信しました。
「この子たちはこんな指をしているのを気にしていない」
「聴こえてくる音だけに喜んでいるのだ」と。
そして、今動く指だけで弾ける曲を弾こうと思うようになりました。
「この病気はギフト、神様からの贈り物」
以来、ピアノが弾ける喜びを思い出しました。7本指になって思うように弾けなくなると、一音一音に感謝して弾くようになったそうです。
そしてその音が最後つながったときに心に響く演奏ができる、と感じるようになりました。
西川悟平(7本指のピアニスト)の病気ジストニアとは?
西川悟平さんが診断されたジストニアとは、脳の神経の障害により、筋肉が思い通りに動かせなくなる病気のことで、ピアニストなど体の一部を酷使する職業の人に多く発症すると言われています。西川悟平さんの場合、日常生活にはほとんど支障はないが、ピアノを弾こうとするときにだけ指が曲がってしまうそうです。
7本で弾こうとして、右手を補うために、腕をクロスしたり、左手を跳躍させたりと、10本指ではしないような高度なテクニックを使うそうです。
西川悟平(7本指のピアニスト)の超絶演奏動画を調査!
Gohei Nishikawa Plays Time to Say Goodbye. Piano Solo
西川悟平さんの友人である松藤由里さんによって作曲された「プレリュード イ短調」と、サラ・ブライトマンの「Time to Say Goodbye」が二曲とも演奏されています。(「Time to Say Goodbye」は2分30秒ごろから)
7本指とは思えないほど繊細でかつ迫力があり、とても心に響く音色です。
今回のまとめ

今回は「7本指のピアニスト」こと西川悟平さんについてご紹介しました。
一度は両腕が動かなくなった悟平さんですが、そこから7本指の機能を取り戻すまでに回復するには、多大なる努力や精神が必要だったと思います。
好きこそ物の上手なれ、とも言いますが、本当にピアノを引くことが好きだったからこそここまで続けることができたんでしょうね。
西川悟平オフィシャルサイト:https://goheinishikawa.com/
インスタグラム:https://www.instagram.com/gohei.nishikawa/
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